花街

和の薫る町中町

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

中町花街

 ad03ac3f263e011530be912974350ca1 JR八王子駅から西放射線通りを散策すると中町公園に着く。左を見ると「ひまわり化粧品店」があり、小道の壁上に「旧花街案内図」が掲示してある。そこには道路に面した商店に囲まれた旧花街が描かれていて、石畳路地の突き当り右側にその場所を示す石柱がある。

 打ち水をした料亭、カツ丼が名物の洋食屋、お汁粉と鍋焼きうどんの店、江戸前の鮨屋、髪結い処、人力車の店などが軒を連ね、路地の角々に植えらた柳の下を芸妓が行き来していた。御座敷からは三味線の音が流れ、「新内流し」の独特な声色が聞こえて来る情景は、まさに和が薫る風情であった。

花街の歴史

SCN_0005-e1429187639509-968x1024 「粋なまち中町」の歴史は古く江戸時代までさかのぼる。その変遷をみると、他の産業と同様にいかに景気や世相に影響されて来たかがわかる。織物産業の衰退と共に、買継商の減少や商談・接待方法の変化などもあるが、客層のお座敷離れも大きく、中町でじっくり芸を鑑賞し自ら楽しむ旦那衆も少なくなった。

 昭和27年には料亭45軒・芸妓250人と繁盛を極めたが、昭和30年後半から織物業の衰退と共に芸妓、料亭数が減少し、平成9年には、料亭6軒、割烹料亭5軒、芸妓14名であった。料亭が消え芸妓の人数が減る悪循環になっているのが現実である。このような「粋なまち中町」が人々の記憶から消え去り、史跡化することを惜しんでこの10数年来再生への色々な努力がなされている。

花街の再生に向けて

 P3103222 商工会議所や住民は、平成11年に「八王子黒塀に親しむ会」を結成し花街文化の伝承とその情報を発信し、平成20年には住民や商店主による中町地区まちづくり推進準備会が発足した。平成21年東京都に申請した「江戸・東京まちなみ情緒の回生事業」が日本橋と共に選定され、花街黒塀通りの石畳舗装・外壁の黒塀風塗装・街灯の整備など行われた。

平成22年には中通り(見番前の東西道路)が石畳風に改修され、伝統と文化が薫るまちの再興に向けた気運がさらに高まっている。現在は準備会から発展した「中町地区まちづくり協議会」が八王子市に認定され、駐車場のネットフェンスの黒塀化・灯りのプロジェクト・まちづくり通信の発行など、地元主体のまちづくり活動を行っている。

粋な黒塀 

 IMG_9298「粋な黒塀見越しの松に・・・」と歌の歌詞にもなっている黒塀、一番先に思い浮かべるのは花街だ。だが、武家屋敷の門や、漆喰の塀と対を成した板塀も黒く塗られた黒塀である。この黒い塗料は柿渋に松の煤を溶かしたもので、防水、防腐材の効果がある。柿渋の作り方は渋柿の未熟なものを潰して大きなカメにいれ発酵させ、その上澄みを漉したもので透き通った茶色で 独特の匂いがある。

 防水と防腐の効果があるため、化学繊維の魚網が出来る以前は投網や寄せ網などをこの液体に浸して使用していた。以前は着物を仕舞って置くときに使う「たとう紙」にも塗られ、厚紙に塗ったものは、絵画や芸術品を運搬するときに使う「たとう箱」の材料である。この澄んだ液体に松の煤を溶かしたものが黒塀の塗料で、オイルステインなど石油系塗料が使用される迄は、家の土台、柱など構造体の下塗り・防腐剤としても利用されていた。サラリとした塗料なので、現在の油性ペンキとは違い剥がさずに何度も上塗りすることが出来、塗り重ねるたびに黒さが増して味わい深い漆黒に仕上がっていく。昭和の中ごろまで中町にも職人さんがいた。塗り師すなわち「塗師屋」と呼ばれていて、数年に一度黒塀や格子戸などの塗り替えをしていた。  

華の芸妓衆

 IMG_1346「和が薫る粋な町」の再生を目指して意欲的に取り組み頑張っているのが、華の芸妓衆達である。彼女達は、かつてあった閉鎖社会から脱皮して、あらゆる機会を求めて伝統ある芸能文化を広く発信しており、最近では新聞やテレビなどでも大きく取り上げられ、その活動は「学校の邦楽教育・高齢者支援」にまで及び、また柳がある町並みの復活に向け広く募金活動を行なっている。

 地元の行事にも積極的に参加しその技芸を披露しており、その芸質も高いとの評価を得ている。正月の風物詩「新春はしご乗り」と「初春の舞」、八王子まつりには中町公園での「宵宮の舞」と「にわか屋台の曳き回し」秋には「越中八尾おわら風の舞in八王子」など伝統芸能の艶やかな踊りと演奏を数多く披露している。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加